杏 林 製 薬 ① 編

hourouhen

※ 再開にあたり、レイアウトを最初の頃に戻します。(気まぐれです)
お待たせしました! 社会人となった僕の、漫画放浪の旅がついに始まります。
杏林製薬は18歳から35歳までの17年間在籍し、その後の僕に多大な影響を与えることになりました。それでは早速スタートしましょう。

1975年3月 無事、高校を卒業した僕は、フォークソングに夢中で井上陽水、吉田拓郎、かぐや姫などを聞きまくっていました。Y君も地元の自動車会社に就職が決まり「松本が会津を離れるまで約一ヶ月あるから、それまでいっぱい遊ぶべ」と言っていたのですが・・・
そんな矢先、杏林製薬から通知が届き〔勤務地が栃木県野木町の工場に決定したこと。入社式が3月中旬なので、それまでに入寮すること〕といった内容でした。
僕は思わず「ナニー、4月1日が入社式じゃないの?ゆくりする暇もないじゃないか。宇宙戦艦ヤマトの最終回が観れなかったらどうしてくれるんだ!」と叫んでしまったのです(馬鹿ですねー)
一応、就職の準備はしていたのですが、心の準備ができていないまま、あっと言う間に野木町へ旅たつ日になりました 。 『嫌だなー、会津から出たくないよー』 ⇦ 心の叫び

会津若松駅で見送りを受けた僕は、不安な気持ちのまま急行「ばんだい」に乗り、栃木県小山駅で下車。東北線上りの各駅停車に乗り換えて2つめの駅、野木駅に無事到着したのである。
野木駅は、ホームの階段を上った高所にあり、改札を出ると野木町が一望できました。

「山が、山が無い・・・」
「会津はまだ雪が残っているのに、全然無いな」
「駅前に少し商店があるだけで、ほとんど田んぼじゃないか」
「のどかだなー、ここは本当に関東圏なのか?」
「それにしても暖かいな」
「本当にここでやっていけるのだろうか・・・」

僕の不安は更に増大し、押しつぶされそうになるのを必死にこらえるのでした。
続きは、次号で!

注)50年前の記憶を頼りに書いているので、間違いや誤解があると思ますがご容赦下さい。

【めもあある漫画館】

〔 ヒ ア リ 対 策 〕

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